不条理性を探るカフカ『審判』〜静かなる日常からの移行

 

 カフカの『審判』*1を読んだ。不思議な小説だ。よくわからない。コレ自体が平凡な感想であるが、表現力の乏しさは勘弁していただきたい。

 

 以前『変身』を読んだことがあるが、これは奇異なストーリーながら、テーマははっきりしているように感じられる。ある朝目覚めると主人公のザムザは大きな虫に変身していた。この衝撃的な現実離れの物語設定である。おかげでこの世の「不条理性」をこの小説は示しているのだ、と言われたらなんとなくわかったような気になる。虫への変身が何かを示しているのは誰でもわかることだ。

 

 ただこの『審判』は奇異なストーリーでありながら、『変身』ほど現実離れした設定ではない。『変身』は科学法則を無視しているが、『審判』その意味では超自然的なことは起こらない。冒頭にいきなり逮捕されたり、裁判が被告人の主人公ーヨーゼフ・K*2ーにもその詳細がわからなかったり、裁判を取り仕切る連中の正体が不明だったりとおかしなことだらけではあるのだが、この「おかしなこと」は日常から断絶しているというよりも連続している。

 

 『変身』は冒頭から終わりまで主人公のザムザは非日常のなかに放り込まれる。ザムザには日常は失われつつある、のではない。はじめから非日常・不条理の世界に居続ける。日常の侵食を受けるのはむしろザムザの家族たちだ。

 

 『審判』は不条理そのものを描いたというより、不条理による日常の侵食を主人公の視点で描いた作品であろう。大事件がはじめに起きるのではなく、徐々に不条理が普段の生活に顔を出しついには主人公は追い詰められ破滅の道をたどる。

 

 この徐々にというのが問題で、小事件の積み重ねによって主人公ヨーゼフの周りに正常値からのズレが蓄積していく。小事件であるがいくつも重なるがゆえに、それらの事件が何を意味するのか読み解くが難しい。いや、実を言うともっともらしい答えを出すことはできる。この世の不条理を表しているだの、人間存在の不確実性だの、法の存立根拠のなさなどである。しかしそういう抽象的な読み解きではどうにも納得できないところが『審判』にはある。

 

 『変身』はある意味大きなくくりでの解釈によってわかった気になれた。お決まりの解説を読んで納得しようと思えばできた。それは冒頭の事件の印象の強さ故に他の細かな描写・展開の印象を自分は残せなかったのだろう。

 

 だが『審判』は日常から非日常への展開が細かな描写と展開の積み重ねによってなされる。すべての事件に読者は疑問を投げかけ読み解くべき謎が積み上がっていく。

 

 主人公の受ける裁判の意味はなにか、裁判が進行しないのかなぜか、無罪を勝ち取るとはどういうことか、裁判に通暁するという画家のティトレリは何を象徴するのか、主人公の最後に読者は何を読み取ればいいのか。探求はこれからも続けないといけない、と思う。『審判』多分何かある。そう感じる。

 

 謎を謎のままでつみ残し、かつそれを読み解かなければならない気にさせる。『審判』そういう小説である。

*1:池内紀訳、白水社、2006年

*2:ドイツ語では「カー」と読むらしい。