『春秋左氏伝』隠公元年1

今日から漢文の勉強を兼ねて『春秋左氏伝』和訳をアップしていくことにする。原文は「中國哲學書電子化計劃」*1から引っ張ってきている。文法の参考書は『漢文の読み方』(宮本徹、松江崇編著、放送大学教育振興会、2019年)、辞書は『新漢語林第二版』(大修館書店、2011年)を使う。訳の確認や参照のために小倉芳彦訳の『春秋左氏伝』(岩波文庫、全3冊)を手元においておく。

 

なおブログ主は全然漢文の専門家でもなければ大学等で専門教育も受けたことのないただの趣味で漢文を勉強している素人なので、このブログの題名通りあんまり真に受けないように。

 

次の引用文は隠公元年の冒頭。

惠公元妃孟子孟子卒,繼室以聲子,生隱公,宋武公生仲子,仲子生而有文在其手,曰為魯夫人,故仲子歸于我,生桓公而惠公薨,是以隱公立而奉之。*2

和訳

惠公ははじめ孟子を妻としていた。孟子が亡くなると声子を後妻にし、隠公を生んだ。宋の武公は仲子を生んだ、仲子は生まれながらに手に文様があり、「彼女は魯の正妻となるだろう」といわれた。そういうわけなので仲子は我が国に嫁いだ。桓公を生んだのち惠公が亡くなった。そのため隠公が即位し桓公に仕える形をとった。

 

 

内容解説

『春秋左氏伝』は魯の歴史書

 『春秋左氏伝』とは中国の紀元前722年から481年までの歴史が記された書物。その時代は春秋時代と呼ばれる。記事の始まりに先立って周王朝が異民族にやぶれ都を東に移した事件が発生。これにより、王朝の権威が低下、諸侯が争い合うようになった。
『左氏伝』はその諸侯たちの中でも「魯」という国の歴史を記している。そのため国名のない君主名は魯の君主のことを示す。上記で言えば「惠公」だ。他に「仲子歸于我」の「我」は「わたし」という意味の一人称代詞であるが、これは「魯」のことをさす。魯の立場から書いていることを知らないと肝心の魯についての記述がどこのだれのことを言ってるかわからなくなってしまう。

 

孟子とは?〜春秋時代の女性名のルール

 さて引用部の恵公というのは魯の代君主であって、孟子という女性が最初の妻だった。戦国時代の諸子百家の一人孟子とは全然違う人物である。諸子百家の「孟子」は姓が「孟」という人物に「先生」を意味する「子」という尊称をつけた呼び名である。一方引用部の女性の「孟子」は「孟」が名で「子」が姓である。姓と名の順番が逆じゃないかと思われるかもしれないが、この当時女性の名前を称するときは「名+姓」とするのがルールであった。男性名はことは異なり、姓と名を並べることはない。(次の戦国時代以降はこの規範は崩れていく。)

 

孟子」、「声子」、「仲子」の「子」とは?

 なお「子」は「宋」というの国の姓であって引用部の「孟子」、「声子」、「仲子」はすべて姓の共通することから宋の公女らしいことが名前からもわかる。宋は魯の南西にある国で三人の公女が立て続けに魯に嫁していることから魯と密接な関係をこの頃築いていたらしい。

 

仲子の手の文様とは?

 仲子が生まれたとき手に文様があったというのは「魯」の字が手のシワとして刻まれていたという意味らしい。「魯」字が手のシワになっているなどありえなそうだが、古代の話なので今と字体が異なっていたのかもしれない。で、これに予兆を感じて魯にこの娘は嫁ぐんのではないか、と言われていたのだという。そして実際そうなったという予言成就のエピソードなのである。

 

隠公即位の事情

 この仲子がのちの桓公を生むのであるが、まず孟子の生んだ隠公が即位する。桓公がどうやら正統な魯の後継者とみなされていたらしい。「隱公立而奉之」は本来桓公が即位すべきであるが、桓公が貧しいため代わりに隠公が立って桓公を補佐する形をとったということだ。

 

以上が『左氏伝』の本編に入るまでの前置きに当たる部分。次から隠公元年(紀元前722年)の記事が始まる。

 

 

頼らず屋主人の疑問点

「有文在其手」の文法構造

 「文様がその(=仲子の)手にある」という意味なのだろうが、動詞の「有」と「在」と動詞が二つあってそのまま素直に訳すと「文様が有る、その手にある」となり意味が通りづらい。「在」の主語がどこにあるのか?
 これはおそらく「兼語構造」とよばれるもので「動詞1+目的語+動詞2」という形をとって動詞1の目的語が動詞2の主語になっている構造と考えられる。上記の例文だとまず「有文」で「文様が有る」を意味し、さらに「有」の目的語たる「文」が「在其手」の主語になって「文様がその手にある」を後半の語句で意味しているようだ。合わせると「文様があってそれが其の手にある」、日本語として自然にすると「文様がその手にある」という訳になる。「有」と「在」が意味的に重複してないか?とも思うのだが、その謎はこれから勉強していく上での課題である。
 

「故」の訳

 「故」を辞書で調べると接続詞として「だから」という意味が出てくる。でも今回の引用部分では理由・原因の意味で通すとなんかしっくりこないのだ。小倉訳を参照すると「そのとおり」と訳してある。が、それにあたる意味が漢和辞典から見いだせないのだ。これはどう考えればいいのか、まだわからない。

*1:古代の漢籍は有名所はほぼ網羅している素晴らしきサイト。原文参照に大変便利だ。

*2:https://ctext.org/chun-qiu-zuo-zhuan/yin-gong-yuan-nian/zh